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シュプリンガーネイチャーイーブックス 著者の声:米澤 彰純 先生

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東北大学 国際戦略室副室長?教授 の米澤 彰純先生にお話を伺いました。


Q. 先生はSpringerのブックシリーズ、のエディターを务められていますが、社会科学分野において英语で出版を続けるということはどのような意味があると思われますか?

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ここ数年、日本の社会科学や人文社会科学に対しては、日本の社会から极めて厳しい视线が送られていると思います。これは色々な理由があるのですが、やはり理系に比べて国际的なビジビリティが少ないということを突かれているのだと思います。
日本以外のアジアの国では、英语圏の大学でトレーニングを受け、博士论文を英语で书いて出版して成功している人がトップ大学では主流です。一方、日本は、日本の中で博士号をとり、それによって大学の教员になる人が圧倒的に多い。言い换えると、このことが日本の社会科学や人文社会科学での英语発信が少ないということにも繋がっています。だからといって、日本のこれら分野の水準が低いかといえば、私はそのようなことは全くないと思います。それだけに、やはり発信してほしいという気持ちがあります。また、私は东北大学の国际戦略室にいますが、日本の大学のビジビリティを上げるためには、人文社会科学の研究者がたくさん出版してくれること、それも英语で発信してくれることが望ましいと考えています。

Q. 先生は留学のご経験がなく、博士论文を書かれたのも40歳を過ぎてからと伺いました。しかし今では多くの著作がありますし、シリーズのエディターも務めていらっしゃいます。日本の研究者の間では、英語で論文を執筆するのに苦労されるとよく伺うのですが、どのように克服されたのでしょうか。


海外留学の経験が全くないわけではなく、助手をしていたときにパリにある翱贰颁顿に在外派遣され、8カ月间コンサルタントとして働いた経験があります。英语论文の书き方を习ったことは正式にはありませんが、名古屋大学の国际开発研究科で勤务した経験が役立っていると思います。ここではレポートも含め、100%英语で授业を実施しており、多くの人が博士论文を英语で书きます。本来、博士论文や1册の本を书くためには5年から8年ぐらいの时间が训练として必要で、それを経てようやく论文や本が书けるようになるものです。これは英语であっても日本语であっても同じことです。しかし、日本语で勉强してきたものを、今度は英语でどうアウトプットするかとなると、そこにまたひとつハードルがあるわけです。

Q. 先生の英語論文執筆のご経験について、具体的にお聞かせください。

私が最初に英语で论文を书いたのは1997年、パリの翱贰颁顿时代のことです。学会発表した内容を论文にしました。当时、信州大学にいらした马场将光先生からお诱い顶き、后に私がにする研究ネタが元々あったため、一绪に学会発表をすることになりました。英语の学会発表というのは基本的には论文を书き终え、それをプロポーザルとして発表する形を取ります。いわば自然の流れで、英语で论文を书くことになったわけです。

当时、高等教育学研究の分野では、日本人の中に英语で执笔する人は数えるほどしかおらず、珍しがられたこともあるのでしょう。幸运なことにこれがそのままレフェリー论文として认められました。
当然ながら、私は英语で全て执笔しましたが、やはり助けが必要でした。马场先生に教えていただき、さらにネイティブスピーカーのチェックを受けて直していった部分もあります。色々な形でサポートを受けての执笔でした。私の场合はこのようにいきなり実践から入りましたが、皆さんにお荐めしたいのは、やはりトレーニングを受けることです。いろいろな形で训练は可能ですが、例えば通信教育やプライベートスクールなどを利用して、出来るなら习った方がいいです。
 

Q. 初めて英文で執筆するためには、色々な人からの助けやヒントを得るべくネットワークも必要になりますね。それでは、先生が最初に本を書かれたのは、どのようなきっかけだったのでしょうか?

私はずっと英語で出版してきましたので、だんだん海外で知られるようになり、国内外の友人や同僚が増えていきました。キャリアを積む中で、科研(費)を取得し、世界から多くの研究者を招待し、セミナーや研究会を開くことができるようになりました。そこで得た成果を本にしないかと、東京大学の北村友人先生が提案してくれたことが最初の本のきっかけです。私はそれまで自分が英語で本を出版できると思っていなかったので、非常に驚いたのですが、早稲田大学の黒田 一雄先生、広島大学のArthur Meerman先生、そして北村先生とやってみようということになり、実現したものが です。出版までに1年ほど时间がかかりましたが、実际に出版にこぎつけることが出来たのは、书き上げるという强い意思を持っていたことと、それまでに何度も(书籍の)章は书いた経験があったため、本の书き方が身に付いていたことが大きいと思います。そして、出版して终わりではなく、さらにその后に必要なのは、それを売るためのプロモーションです。これは自分の研究プロジェクトをまとめていく作业でもあり、それが次の本を出すときにとても役に立ちます。

Q. 書籍を出版するノウハウを経験で取得されてきたのですね。他にはどのような書籍出版をされていらっしゃいますか?

学会に関わる形での出版も経験しました。日本教育社会学会の70周年记念の出版の话があり、その执笔チームのリーダーを仰せつかりました。一研究者というよりは、学会という组织の人间として、多くの学会员の研究成果をまとめていくという作业を编集者としてやることになったわけです。一研究者として执笔したこれまでとはかなり立场が异なり、学会を代表しての编集作业ですので、チームを组んでそれぞれに役割分担を付けました(编者について详しくはリンク先参照)仕事は英语のネイティブチェック、全体の进行管理、出版社との交渉や着者の先生方への依頼など色々あります。私は、今度は自ら书くだけではなく、サポートをする侧にまわることになりました。冒头に述べたように、これまで日本では英语での発信が少なく、英语での执笔経験の少ない先生もいらしたので、私の仕事は执笔者を助けて励ますことでもありました。これが で、2018年に出版しました。出版後は、先ほども述べたようにプロモーションです。学会を背負った立場ですから、この本をプロモートするために、アメリカの比較国際教育学会(Comparative and International Education Society, CIES)という権威のある学会で、重要な章を執筆いただいた大家であるオックスフォード大学の苅谷剛彦先生にも登壇いただき、セッションを行いました。

Q. ここ最近先生は、若手研究者を支えるお立場にもあり、若手と共同で出版などもされていらっしゃいますね。

は若手がイニシアチブを取っているプロジェクトをサポートしたという例ですね。高等教育研究は高等教育を対象とした学際的(multidisciplinary)な社会科学研究ですが、日本は1970年代ごろから研究コミュニティがあり、学会は1990年代から設立されています。しかし、国によっては最近勃興したばかりの分野でもあります。特にアジアの高等教育研究は、日本や中国では主に現地の言語で書かれているので、英語圏の人々にとっては、まだ知られていないイメージがあります。この本の共編者でもあるHugo Hortaさんはポルトガル出身で、ポルトガルで学位をとってから、ポスドクとして2年間東北大学の私の研究室にいた方です。彼がなぜ私の研究室を選び、そしてそれ以降、共著者や共編者として選んでくれたかというと理由は非常に単純で、私が英語で論文を書いていたからです。やはり英語で書かないと、知られないわけで、この点はメリットがあると思います。また、もう一人の共編者であるJisun Jungさんはソウル大学で学位を取得しています。バックグラウンドの違う私たちがアジア諸国の高等教育研究をそれぞれ分析し、それをジャーナルのspecial issueとして出した上で、一冊の本にまとめました。アジアにおける高等教育のレビューは今までになく、本書は高く評価され、2019年、CIESでベストブックに選ばれました。

Q. 英語で出版するという点において、研究コミュニティの状況は変わったということでしょうか。英語での書籍の出版を通じて、何らかのベネフィットはありましたか?

この本でも主张していますが、英语で出版し、高等教育のジNew Content Itemャーナルに特に査読を経て书いているということが、研究を前进させるうえでも出発点になり得ると思います。これによってグローバルな理解とビジビリティを得ることができ、それによってアジアの高等教育研究がもっとグローバルなリサーチコミュニティに関与(别苍驳补驳别)することができると、ついにはアジアの见方?视点がグローバルなリサーチコミュニティに影响を与えることができると思います。
どの分野でも同じだと思いますが、仮に高等教育の研究コミュニティが一国の中に限定しているとすると、例えば日本のように人口がだんだん减っていく国では、多くの学会の会员数が増えていませんし、高齢化しています。若い人の雇用机会も减りますし、ローカルだけでつながり根付いたとしても、国际的な、あるいはアジア地域での注目を得ることができず、结局、国际的な研究コミュニティに対して贡献できないということになってしまうのではないかと危惧します。

私の世代は、アジアの研究者は日本と中国の一部以外はほとんどが英語で論文を書いて、英語圏の大学院に行って博士号を取った人たちが主流でした。日本や中国は、英語発信は少なくても国力でそれなりのビジビリティを持っていたという時代です。しかし、今の40歳前後以降の世代は全く違ってきています。先ほどのJisun Jungさんは韓国で生まれて、韓国で博士号を取っています。Hugo Hortaさんはポルトガルで生まれて、ポルトガルで博士号を取っています。留学経験や英語圏でのキャリアの有無は関係なく、自身の国で博士号を取った人々が英語で出版して、英語で教えているのです。日本の人文社会科学の研究者も同じことが出来ると思います。
 

Q. 英語が出来ないと英語の書籍は出版できない、と言う思い込みを覆す、経験に基づいた力強いお話をありがとうございました。改めて読者にメッセージはありますか?

そうですね、繰り返しになりますが、一人で書く必要は全くなくて、いろいろな助け?手段を使って書いてほしいと思います。昔は、Microsoft Wordはあってもスペルチェックはしてくれませんでしたし、メールはあっても翻訳機能などは全くなかったので、とても大変でした。今や自動翻訳機能はありますし、ネットで依頼すれば24時間以内に英文校正をしてくれるサービスはいくらでもあります。また、出版社やいろいろな学会が英語の論文を書くためのセミナーを開いています。色々なことができる時代になりました。こうしてZoomでつながることも簡単にできるようになりました。人とのつながりを大事にしつつ、デジタルツールを積極的に使って、ご自身のやり方を見つけ、ぜひ多くの研究が日本から発信されると良いと思います。


*本稿は2020年10月13日に開催した書籍出版セミナー 「社会科学における电子出版のすすめ」をもとに再编集?构成を行い、米泽先生へ再インタビューを行ったものであり、内容はセミナー当时の情报です。本セミナーについてはがご覧いただけます。


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